退職届を書く7時間前までは、退職するなんて考えもしなかった

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退職届を出すに至ったのは、力尽きた、という表現が正しい。そのまま退職届を机に置いて去ったことがある。俗にいう「飛ぶ」というものだ。しかしその後、携帯に上司から鬼電が入り、会社に戻らざるを得なかったのであるが。

しかし退職届けを出すまでは、まさか自分が退職するなど1ミリも考えもしなかった。このまま20年30年忠実に社員を続けていくものだと思っていた。私は非常に真面目な社員だったのである。真面目すぎるぐらいだったと思う。

退職を決意するまでに、色々あった。しかし何があっても自分の中でやり過ごせばいいと考えていた。家には着替えだけして帰り、すぐに会社に戻って作業をする。日中は営業を行い、夜に会社に戻って朝方まで事務作業をする。そして始業時間を迎える。そんな時期が1カ月程続いていた。そして週に一回の会議では詰められる。

ようは、私は不出来な社員であったのだ。しかし、自分が不出来の社員であるとは正しく認識できなかったと思う。どこかに自尊心があった。最低限の結果は出せている、全くサボっていない、真面目にやっていると。いつか報われると。

しかし、どんなに頑張っても頑張っても暗い土の中を掘り進んでいるような気がしていた。正解のルートなど分からなかったのだ。

折しも、業界として不景気の陰りがあり、上司にも余裕が消えていた。会議の叱責が増えて、また他部署で上司が社員に叱責する様子をよく見た。

私も体調が悪化していたのを見ないふりをして、仕事をしていた。

そして上司から言われたある言葉をきっかけに、飛ぶに至った。

穏やかに退職ができなかったのか、と言う人もいるかもしれない。

しかし私が心から望んだのは、「逃亡」であった。何故なら今後のスケジュールは時間単位で決まっている。下っ端の私はそれに乗るしかない。しかし心が全く追いついていかない。怒鳴り声はもう聞きたくない。何より上司に「合わせる対外的な顔」を用意できなかったのだ。

心身はもう数か月前から限界を迎えていた。しかし現実の多忙さから見ない(見ることができない)ようにしていたのだ。

「私だけじゃない。上司や先輩はもっと大変だ」と思っていた。

そう思い込んでいた。

そう思っていたのが、そもそも問題であったのだ。自分の中に積もっていく辛さに向き合うことを怠っていた。私は準備をするべきだった。退職か、休職か。

私のいた部署では、約1/4が休職経験者だった。病名が明かされていたり、病名が伏せられていたこともある。だから休職する道は、確かにあったのだ。しかし、私はそもそも「休職」なんて自分とは無縁だと思っていた。自分はそうはならないと思っていた。きっと、「プライド」があったのだろう。全く勘違いした「プライド」である。

身近にいる人がそうなっているのに、そこに対する共感がなかったのだ。そもそもいないようにふるまう部署内のムードにも染まっていた、というのは言い訳かもしれない。

そして究極的に属人化したこの仕事を前に、休職や退職なんてことを私は間違った責任感の強さから考えることができなかった。

退職しようと決心したのは、駅だった、そこから会社になかなか帰ることができずに、駅のホームのいすに長い時間ずっと座っていた。駅員から変な人と思われないように、時折文庫本を開いて「本を読んでいる人」に見えるように心掛けた(充分変な人間に見えていたとは思う)。

私は「運よく」退職届を出せたが、出せずにこのまま電車の前に飛び込んでしまう人もいるのではないか。いたのではないかと、思ってしまうのだ。

退職や休職という選択肢を、どんなにうまくいっていたとしても、あるということは知っておかないと、自分自身のリカバリーがうまくできないのではないか。会社を辞めるにしても、続けるにしても。

このブログでは、そういうことを書いていきたいと思う。自分の書くことが全て正しいとは思わないが、こういうこともあるということを残していこうと思う。

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